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2025.10.20
10月12日(日)、JFCユースワークショップ(第2弾)を実施しました♪
10月12日(日)にJFCユースワークショップ(第2弾)を実施しました。
このワークショップの目的は、日本へ移住したJFCたちのエンパワーメントです。
昨年、日本在住のJFCユースを対象にインタビュをし、「JFCの就労・生活・幸福度調査」を実施したところ、JFCたちの幸福度は、①日本語の能力、②相談や助け合いができるコミュニティの存在、に大きく左右されることが分かりました。(※この調査報告書はJFCネットワークのHPからダウンロード可能です。https://www.jfcnet.org/news/report/3528/)
そのため、JFCネットワークでは、①のために、来日予定のJFCたちを対象に日本語検定5級レベルを目指すオンライン日本語レッスンを毎週日曜日に開始しました。
②のために、JFCユースが中心となり、JFCユースグループを立ち上げ、定期的なワークショップを開催し、日本で孤立しがちなJFCたちの交流を深め、互いを知ると同時に、日本で生きていくための知恵と力をつけてもらいたい、と考えています。
第1回目のワークショップの際に参加したJFCだけでなく、参加できなかったJFCたちにアンケートを取ったところ、実施して欲しいワークショップで一番多かったのが、「日本に長く暮らすJFCの経験談」でした。
そのため、10月12日のワークショップは、JFCユース3名に登壇しスピーチをしてもらいました。オンラインでの参加も可能としたため、日本に暮らしているが遠方のため来られないJFCたちや、フィリピンにいるJFCたちも参加できるようにしたところ、会場参加が10名、オンライン参加が15名、合計35名の参加があり、ワークショップはとても盛況に終わりました。
午前10時から開始し、午後の4時までと1日かけたワークショップでしたが、その分、充実した時間が過ごせたと感じています。
ただ、フィリピンでオンラインで参加した人たちの中には、WIFI環境が悪く、またギガをたくさん使ってしまうので、午前だけ参加した人もいました。オンライン参加はWIFIの環境を考慮しないとならないことに気づき、次回は、オンライン参加者のために、午前に講演会をいれ、午後に会場参加者だけでワークショップをする、というほうがいいように思いました。
3人のJFCたちのスピーチは本当に素晴らしく心を打つもので、涙を流しながら聞いている方もいました。
その一人の謙さんのスピーチ(30分)の一部をご紹介します。謙さんは来日して3年になり、九州でボーリング調査の仕事をしていますが、今回、有給をとって、東京に来てワークショップに参加してくれました。謙さんはスピーチの中で河野尚子さんの事も話してくださいました。謙さんをはじめきっと多くのJFCたちにとっては、今でも尚子さんの存在が支えになっているのだと感じました。
◆謙さんのスピーチ一部抜粋◆
「私は貧しく育ちましたが、愚かではありませんでした。そして何よりも、間違ったシステムに甘んじるような人間ではありませんでした。だから私はためらうことなく、その会社を辞めました。より良い仕事を見つけることを選んだのです。
そして、ここから私の奥深い物語が始まります。なぜなら、外の世界だけを見ていると、新しい仕事、より高い給料、より良い場所といった単純な成功しか見えてきません。しかし、多くの人が見ていないのは、そのプロセスです。毎晩疲れて家に帰り、毎時間自分の決断が正しかったのか自問し、毎秒、ただ前に進み続けるために自分に言い聞かせているのです。
そして、そこで私は日本での人生で最も重要な教訓の一つを学びました。本当のたたかいは仕事ではなく、自分自身とのたたかいだということです。
先ほども言いましたが、本当のたたかいは仕事だけではありません。確かに、ボーリング調査の仕事は大変です。確かに、太陽の下に立ち、重機を扱い、遠くまで移動するのは疲れます。しかし、実際には、一番辛いのは仕事ではありません。なぜなら、一番辛いのは、一緒にいる人も、話す人も、頼れる人もいない夜だからです。
多くの人は、海外にいると人生は自動的に良いものになると考えています。フィリピンにいる人々も、多くはそう思っています。日本へ行けば、アメリカに行けば、外国に行けば、すでに裕福になると。でも、彼らは、疲れ果てて家に帰り、食べる気力もほとんどなく、そして明日もまた同じことを繰り返す、そんな時間を過ごしている私たちのことを知りません。
そして何よりも、家族と離れて暮らしている時のことを知りません。家族の誕生日があるのに帰省できない日。クリスマスやお正月、一緒に食卓を囲む代わりに、部屋に一人でこもり、ビデオ通話をしながら、重い気持ちを抱えながらも笑顔を作ろうとしている時。取り戻せない大切な日、友人の結婚式、きょうだいの卒業式、あるいは間近で見ることのできない親の老い。
辛い。どんなに強くても、人間であるがゆえに辛い。どんなに強い人間でも、家族と離れて暮らしている心を強くすることはできない。そこで私は、人間として最大の試練の一つを経験し、「これは価値があるのか?」と自問しました。
フィリピンを離れる価値はあるのだろうか?仕事のために家族と別れる価値はあるのだろうか?お金と引き換えに、そして「より良い未来」のために、家族との生活を犠牲にする価値はあるのだろうか?
そしてそこで、海外での生活は単なる犠牲ではないことを学びました。それは一種の賭けなのです。そして、あらゆる賭けと同じように、必ずしも勝てるとは限りません。負けたように感じる日、エネルギーが尽き果て、収入が少なく、頼れる人がいない日もあります。しかし、何とかゆっくりと立ち直っているように感じる日もあります。
今、私が言っていることはすべて暗いように聞こえるかもしれません。しかし、それだけではありません。困難に直面するたびに、立ち上がることを学ぶからです。以前は、自分の価値は仕事、給料、あるいは他人の評価で決まると思っていましたが、今は違います。自分の価値は自分自身で決められると学んだのです。
そして、これが私がここで最も深く気づいたことの一つです。すべての海外出稼ぎ労働者や海外移住者にとっての本当の闘いは、仕事で「成功」することだけではありません。本当の闘いは、これらすべてに直面しながらも、いかに自分自身を健全に保つかなのです。
そしておそらく、それが私が日本で得た最も大切な宝物の一つでしょう。仕事やお金だけでなく、自分自身を知ること。
先ほども言ったように、日本での最も辛いたたかいの一つは、仕事そのものだけでなく、孤独感です。
仕事から帰ってきても誰も迎えてくれないのがどれほど辛いか、分かりますか?聞こえるのは自分の声だけです。フィリピンにいると、どんなに生活が苦しくても、帰る場所は必ずあります。家族、友人、ほんの少し話せる隣人がいます。しかし、ここでは誰もいないこともあります。
そして、誰もいない時は、重荷を分かち合える人もいません。ただ自分自身、自分の胸、自分の心だけが渦巻いています。そして、考えが積み重なると、疲れているのは体だけではないと感じる時があります。
本当に諦めたくなる日もあります。あまりにも疲れて、「なぜ私はまだここにいるんだろう?」と自問自答してしまうような日です。
でも、そう感じるたびに、母の姿が蘇ります。幼い頃、母は海外で働いていて、私たちのそばにいてくれませんでした。母は私たちのためにどれほど犠牲を払ってくれたのでしょう。あの頃はきっと私たちのそばにいたかったのに、母は私たちのそばを去っていきました。
そしてその時、私は気づきました。闘い、犠牲を払い、耐えることは、私たちの血の中に流れているのかもしれません。母があの時耐えられたのに、なぜ今の私には耐えられないのでしょう?
(中略)
フィリピン人の仲間がいることも大きな支えになっています。上司も仕事も経験も違いますが、母国語で話したり、一緒に食事をしたり、フィリピンで恋しいものについて語り合ったりできるのは、本当に心強いです。ただ一緒に笑ったり、アドボやシニガンを食べたり、疲れたと愚痴を言い合ったりするだけでも、ここで孤独を感じずにいられる大きな力になります。
もし彼らがフィリピン人の仲間でなかったら、この全ては私にとってもっと辛かったかもしれません。だから、家族から遠く離れていても、日本には見知らぬ人同士でも家族のようになってくれる人がいることにも感謝しています。
そして何よりも、皆さんとこうして自分の経験を共有できることを嬉しく思っています。皆さんの前で、日本での様々な困難や適応にどのように対処してきたかをお話しできることは、私にとって喜びです。正直なところ、最初は本当に大変でした。家族から遠く離れ、誰も知り合いがいない、そしてゼロからやり直さなければならないという事実を受け入れるのは、本当に辛かったのです。
(中略)
今日、皆さんに一つだけメッセージを送るとしたら、それはこれです。迷うことを恐れないで。転ぶことを恐れないで。そして、また始めることを恐れないで。なぜなら、転ぶたびに、私たちはより強く立ち上がる機会を得るからです。そして、すべての始まりには、新しい希望が待っているのです。
ですから、ここにいる皆さん、もし今、辛いと感じているなら、覚えておいてください。あなたが感じている重荷は弱さの表れではなく、より明るい未来が待っているという証拠なのです。」





